2012年11月10日

小倉城−2


私は就職してから20年間、勤務地が京都でした。その20年間で京都には様々な思い出があり、その一つに「地蔵盆」があります。

地蔵盆を身近に感じたのは約200戸もある社宅の自治会長をやった時です。
京都では特に暑い8月のある土日に朝から晩まで、子供達の健やかな成長を祈ってお祭りを各町内で行うのです。

先ず子供一人ひとりの名前が墨書された60cm位の綺麗な提灯を3段重ねで飾ります、中には電球をいれ夜には灯りをともします。社宅には子供が300人近くいるので、これの準備が大変です。高さ3m位、巾50m位の三段の足場を社宅の広場に組み、電気の配線を行い、各戸から集めた提灯をぶら下げ、中にひとつづつ電球を入れるのです。大変ですが、完成するとかなり壮観です。夜と雨降り時には役員で全ての提灯を外して仕舞います、朝と雨上がり時は足場に昇り再びひとつづつ掛けるのです。

お祭り定番の沢山の夜店やゲームを行います、業者は一切いれずに全て自治会でやっていました。会社のクラブ活動である軽音楽部に出演を依頼し演奏、生オケを華々しくやって頂きます。そのためのステージも製作します。近所の方々も大勢来られるので5〜6百人以上集まります。子供たちは本当に嬉しそうにはしゃぎまわります、大人たちもビールと焼き鳥などで御満悦です。

この地蔵盆、聞くところによると、前回登場した小倉城主細川忠興正室ガラシャの父親、明智光秀を祭ったお祭りだそうです。どうも世間一般に言われる明智光秀像よりも京都での評価は高いようです。京都盆地の西の山間部にある亀岡と、琵琶湖西岸の坂本に明智光秀の城があり、京都・滋賀一帯になかなかの善政を敷いていたそうで、住民は彼を奉っていたとのことです。
タグ:日本史
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2012年11月09日

小倉城 ( こくらじょう )

小倉城大(出典:sacchann様).png
(写真:小倉城 出典:sacchan様「さっちゃんのブログ」http://sacchan723.blogspot.jp/2010/03/blog-post_28.html
から頂きました。写真使用のご承諾頂きありがとうございます。)
クリックして頂くと原寸表示されます。

私は小学生の頃、九州の旧小倉市および旧戸畑市に住んでいました、今では両旧市とも北九州市の一部となっております。学校は小倉北区の西の端にある当時の名称で「小倉市立中井小学校」でした、卒業後1年余りで千葉県に引っ越したため、残念ながらその後訪れたことはありません。

最近ネットで調べると現在は立派な校舎になり、今も活気があるようで安心いたしました。私が入学した当初は教室が不足で午前と午後の二部授業でした。早くから給食を実施しており、入学したばかりのころ、上級生のお姉さんたちが教室に来てお汁粉を配ってくれ、「学校っていいところだなー」と思ったことを覚えています。歴史の欄を見ると、当時の校長先生のお名前が見え、とても懐かしい想いがいたします。

その小学校から高学年の頃、貸切バスに乗って小倉城へ大勢で写生兼遠足へ行ったことがあります。小倉城は江戸時代に焼失しており、それがめでたく立派に再建されたので写生兼遠足へ行ったわけです。
天守閣が少し変わった形で最上階の下の方が少しすぼまった形をしており、ウエストがくびれているみたいな洒落た感じでした。誰から聞いたのかは覚えていませんが、「殿様の奥方がガラシャ夫人というキリスト教の人で、その方にあわせて洒落た感じにしてある」、というようなことでした。
小学生の私はそれを聞いて「小倉城には外国人の奥方が住んでいたのかー」と納得していました。私は小さい頃から30歳位までは歴史が大の苦手で、まったく無知でした。

30歳を過ぎた頃からにわかに歴史がすきになりました。小倉城の最初の城主は細川忠興で正室はガラシャ、本名は球(または玉)、で日本人であることをやっと知りました。ガラシャはかの有名な明智光秀の娘で、関ヶ原の戦いの直前に石田三成に人質として捕らわれそうになり、それを拒否し自害して果てたそうです。細川忠興が徳川方についており、夫が十分に働けるようにとの配慮といわれています。

辞世の歌

  散りぬべき 時知りてこそ 世の中の

             花も花なれ 人も人なれ

細川忠興が小倉城の城主となった時点では、既にガラシャはこの世にはいませんでした。
小倉城の天守閣の最上階の下がすぼまっているのは、徳川家康による天主階層規制をパスするための方策といわれています。しかし私としては、細川忠興はガラシャを深く愛していたらしいので、その想いを込めて洒落た形の城を構築したと思いたいものです。
タグ:日本史
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