2012年11月17日

コンピュータ製作−3 Windows95 Pentium 100MHz

部品一覧最初のPC30.jpg

会社が年末年始の連休に入った1995年12月23日に秋葉原の小さなビルの2階にある、そのお店へ開店と同時に喜び勇んで行きました。

店長の若いお兄さんに「部品一式を購入するので組み立ての指導をして欲しい」旨申し出て、すぐにパーツ選びから始まりました。先ずはディスプレーは前回のブログで記載したものを指定、定価の半額以下でした。あと全ての部品を彼と相談しながら決定。その一覧は写真をご覧ください、表示されている各部品毎の金額は消費税3%加算前のものです。クリックして頂くと拡大されます。

ディスプレーが一番高く、次はメモリーです、メモリーは8MB(8GBではありません!)2本で税抜き59,000円もしました。1MB当たり単価は現在の約2000倍以上です。マザーボードの形状はまだATXではなく、ベビーATというサイズで米国のマイクロニクスというメーカのものでした。CPUはペンティアム100MHz、で31,800円、現在最新の4コア8スレッド3.5GHzのCPUを購入してもお釣りが十分にきます。当時一番最速なものでも166MHzでした。ハードディスクは1.2GBで28,000円。

逆に言うと現在のパソコンは1995年頃と比較すると数千倍以上能力が高いことになります、複数コアおよび転送速度向上で、あるいはもっと高いかも知れません。

組み立ては店の端のスペースで行い、別の若い店員さんが面倒みてくれました。店員さんは別の客の応対もしながらなので、時々待ち時間がありましたが、何とか組み立て完了。驚いたのは、一か所も半田付けをせずに完成したことです。今ではごく当たり前ですが、電子機器を製作するのに半田付けをしないなんて、ものすごく各部品が規格化されていることに感嘆しました。使用した工具はプラスドライバー1本のみです。

引き続きインストールです。Win9xのパソコンを使用しなくなって10年以上経つので大分忘れてしまいましたが、手順は多分次のようであったと思います。

MS−DOSのフロッピーディスクをセットし、電源オン。
ハードディスクのパーティションを設定、およびフォーマット。
CDドライブにWindows95をセットし、これをインストール。

私はスピーカは予算の関係で買いませんでしたが、店長さんが店のスピーカをつないでくれました。再度電源を入れると暫くしてWindows95の柔らかいチャイムの様な嬉しい音がなり、あの画面が出て無事立ち上がりました。大大感激!でした。

ディスプレーは宅配をお願いし、本体は離れたくないので持参のカートに乗せて嬉しく引っ張って帰りました。時刻は3時を回っており、気がついたらかなり空腹、せまいお蕎麦屋さんに大荷物を持ち込んで、「いただきまーす」。パソコンのことで頭がいっぱいで何を食べたのか覚えていません。

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2012年11月16日

コンピュータ製作−2 Windows95 Pentium 100MHz

Win95CD30.jpg
以前Z80というCPUを使用したシングルボードのマイコン製作について触れましたが、私が自分の為に最初にパソコンを製作したのは1995年の12月でした。

OSであるWindows95が1995年11月23日夜(勤労感謝の日)に華々しく販売開始され、秋葉原でこのOSを買い求める人々の賑わいがTVのニュースで放映されていました。しかし、大半の人が所有するパソコンではWindows95をインストールしてもあまり満足には動きませんでした。パソコンのハードウエア能力がWindows95が必要とする能力に対し低すぎるためです。この時からマイクロソフト(ソフトメーカー)とインテル(ハードメーカー)による能力拡大路線に世界中のパソコン使用者々が弄ばれる時代が始まりました。人々は次々に販売される新しく魅力的なOS(Windows xx)を使用するために、ハードウエアも新モデルに買い替えさせられるサイクルが始まりました。今も続くウインテル(Windows + インテル)ビジネスモデルの大勝利時代です。もちろん私もこれにしっかり捕まってしまっております。

これはパソコンのみでなく、メインフレームでも全く同じことです。コンピュータメーカは次々と新しいOSを華々しく発表します、まるで新時代が到来したように。客先が新しいOSを導入しない場合は「古いOSはサポート対象外になります。御社の基幹システムやオンラインシステムに弊社の古いOSに起因する障害が発生しても当社では対処できなくなります。」と脅かします、毎月高額な保守料を支払っているのにかかわらずです。無理矢理にでも新しいOSを導入させ、かつ「新しいOSがスムーズに動くように」とハードウエアも拡大させられてしまいます。

話を戻して、私もパソコンが欲しくて秋葉原を毎週ウロウロし、あちこちの店を冷やかしておりました。当時はパソコンを自分で製作することは一般的ではなく、秋葉原でもメーカー製完成デスクトップパソコンのみを大々的に販売している店が大半でした。

購入対象モデルが大分絞られてきた頃、ある小さなビルの2階にある店に入るとパソコンの部品がばら売りされており、「当店でパソコン部品を一式購入した方には、パソコン組み立ての指導をします」との張り紙を発見し、「これだ!」と思い、即座に完成品購入路線から自作路線へシフトチェンジしました。

店内には「パソコンお宅」の走りみたいな方々がウヤウヤおられました。そこには完成品の展示がないので、外に出て先ず高性能なディスプレー(ブラウン管式テレビ)を探すことにしました。理由はメーカー性パソコンを沢山見ていると、画面がチラチラして見づらいものが多く、せっかく作るのならチラチラしないヤツを作りたいと考えたからです。

チラチラしないディスプレーを探す為に品揃えが良く、実際に画面を表示している今は無き大きな店で、遂にブラウン管式テレビなのに恰も紙に印刷したように見える製品を発見しました。当時は14インチが主流でしたが、17インチの三菱電機のRD17G2という製品で、ディスプレーのみで定価25万円との表示、当時のデスクトップパソコン一式が十分に買える価格でした。その日は一旦帰宅し、頭を冷やすことおよび予算見直し措置をすることにしました。
次回へ続く。
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2012年11月11日

パソコン製作 Z80 ワンボードマイコン


私はコンピュータを自分で製作するのが大好きです。
最初に製作したのは1980年頃に、当時では新進気鋭の米国ザイログ社製8ビット型CPUであるZ80というICを使用したワンボートマイコンです。クロック周波数は確か2.5MHz程度だったと思います。現在のパソコン64ビット3.5GHzの1万分の1以下の処理速度です。もっともその当時の大型コンピュータでも現在のパソコンの処理能力の足許にも及びません。

私は会社の京都製作所の今で言うIT部門におり、その頃パソコンの黎明期で、会社でも先ず勉強としてマイクロプロセッサー(当時はマイコンと呼んでいました)を勉強しようということになりました。会社で組み立てキットを購入し、併せて自分でもコンピュータが動く原理を最底辺から勉強し、とても楽しいものでした。またIT部門という名称は当時まだなく、システム部門とか機械計算部門という名称が一般的でした。

電子工作スジの方々の古くからの愛読書「トランジスター技術」(略称「トラ技」)で見つけた組み立てキットを購入しました。約20cm四方の電子基盤にCPU、メモリ−等各種IC、抵抗、コンデンサー、トランジスター、水晶発振機、コイル、小さな液晶パネル(電卓の表示窓的なもの)、キーボード(16進数入力用、テンキーにA〜F、その他が加わったもの)など様々な部品を半田付けして製作するものです。半田付けは数百か所もありました。
電源は直流5Vでしたが、これも勉強のため雑誌の記事を見て一から製作しました、トランスを使用した当時としてはオーソドックスで重たいものでした。

私の下手な半田付けの結果、所謂イモハン(外見上は半田付け出来ている様に見えるが、実際はしっかりとは接続出来ておらず、線を引っ張るとずるずる抜けたりする)等続出で、電源を入れてもさっぱり動きません。測定機は手元にはテスターしかなく、テスターではどこが悪いのか見当を付けることが出来ません。幸いIT部門にはメインフレーム(当時はホストコンピュータと呼んでいました)があり、コンピュータメーカーのCEさん(Customer Engineer:コンピュータのハードウエアをメインテナンスする人)がコンピュータ室に常置しているシンクロスコープを御ことわりの上拝借し、波形を見ながら山盛りの不具合ヶ所を直し、上手く稼働した時は感動しました。

プログラムは最近のようなJavaとかCの様な高級言語ではなく、機械語(二進数を16進数表示したもの)のみが使用出来ます。先ず紙にアッセンブラー(機械語を数値でなく分かりやすい英字の記号にしたもの)を書き、それを自分で機械語に翻訳し、キーボードから入力するものです。簡単な計算や条件によりLEDを点灯させる程度のプログラムしか作成出来ませんでしたが、コンピュータの原理をよく理解できました。プログラムの保存にはカセットテープレコーダーを外付けで使用していました。

この頃からこのZ80というCPUを使用したパソコンが出現し始めました。例えばシャープのMZ−80C,NECのPC8001などです。会社でもMZ−80Cを数台購入し、部門毎のスタンドアロン的なデータ処理に活用しておりました。それらのパソコンはBASIC言語が使用でき、フロッピーディス装置、プリンターなど一式で1台90万円程度でした。現在のパソコンから比べると結構高価なものでした。私は製作所内のパソコン導入の旗振り役で、その後暫く本格的パソコン時代の初期段階まで使用方法、言語教育などを担当していました。メインフレームの仕事より小回りが利き、自由に活動できる部分が多く実に楽しい時期でした。
タグ:パソコン Z80
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